はち

6+1人と日々の雑記

【感想】6/19 北齋漫畫 ※ネタバレあり

当日券が取れたので行ってきたのだけど、まーーー疲れた。演じる方はもちろんだろうけど、観る方も相当エネルギーが必要な舞台だと思った。終始、横山さんの圧がすごい。

以下、感想。ネタバレ一切配慮していないので観劇がまだの方はご注意を。そして記憶が曖昧な部分もあると思うので、間違いがあったら教えてください。

 

 

 

オープニングからすごい。静止画が動いている。矛盾しているようだけど、他に表現のしようがない。北齋の絵が動いていた。その後も要所要所で使われていたが、現在のデジタル技術だからできた演出だなあと思った。

そして横山北斎登場。いきなり長台詞。そして圧がすごい。ただただ圧倒される。最初からクライマックスだった。ちょっと狂人じみていて、幻想水滸伝Ⅱのルカ様が過ぎった。そんな北齋に対して、お直の受け答えのミスマッチ感が絶妙だった。肯定も否定もなく、むしろ「この人何言ってるの?」と言わんばかりで無関心のようにさえ思えた。確かに北齋と会話はしているんだけど、そんな自分も含めて一歩後ろから見ている感じ。

お直は魔性の女という役回りだったけど、わたしは無邪気な子供のようだなと思った。興味のままに周りを振り回している感じ。「わたしがこうしたら、みんなどうするかしら?」を純粋に楽しんでいるように見えた。その手段として、自分の容姿が使えるなら使っておくかぐらいの心持ち。

あまり自分の感情を出さないというか、芯の部分を見せずにいたお直が唯一感情を露わにしたのが「嫌い」という言葉だった。親が首吊りしたと言ったにも関わらず、「殺してくれ」と命を粗末にするようなことを言ったからなのかな。嫌悪感を示すわけでもなく、あっさりと言い放った様子からするとお直が譲れない絶対的なボーダーだったのかなあ。まるでいらなくなったおもちゃを捨てる子供のようだなと思ったのだけど、お直の一連の行動は、この人は本当に自分を愛してくれるかを試していたような気もする。佐藤さんのコメントを読んで、色欲からくる愛ではなく、親愛を求めていたのかなと思った。

北齋を呼び出しに来たお直が持っていた花はあやめ?杜若?菖蒲? 密会現場にも生えていたけど、なんであのときだけ持っていて、しかも置いていったのかが気になったのでとりあえず花言葉を調べてみた。

 ・あやめ… 朗報、メッセージ、希望、愛、消息、優雅さ、あなたを大事にします

 ・杜若…幸せは必ずくる、幸せはあなたのもの、贈り物

 ・菖蒲…よい便り、あなたを信じる、優しい心、優雅

うーん、わからない。しばらく姿を見せていなかったことを考えると、消息→あやめなのかなあ。でも密会現場を見せられる北齋からしたら、朗報でも希望でもないよなあ。北齋が地面に投げつけたというのが暗喩だったりしたのだろうか。うん、わからない。

それにしても、伊勢の人生狂いっぷりがえげつない。ここまで頭の中が下半身になるのか。

振り返ってみると、伊勢は血は繋がっていないけれど親子三代それぞれ一途すぎた。伊勢はお直に、北齋は絵に、そしてお栄は北齋に対して真っ直ぐだった。お栄は思ったより常識人だった。wikiを見ると北齋に負けず劣らず破天荒のようだったけど、『北齋漫畫』においてはこのくらいの方がバランスがよかったのかもしれない。北齋は破天荒を通り越して、思ったよりクズだった。

そしてお直はその後北齋たちに関わることなく亡くなっていて、新たにお直にそっくりな女性が現れるわけだけど(便宜上、彼女をお直2としておく)、彼女はお直と違って自分のためにわかりやすく他人を使っていた。魔性というより、ただの悪女に近いかもしれない。北齋たちと暮らしてはいたけれど家族ではなく、あくまでも他人であるとの線引きが明確で、北齋と佐七のやり取りの最中の他人事感が印象的だった。しかし彼女は最初からそうだったわけではない。北齋のもとで働けることを純粋に喜んでいた、素朴な女性だった。それがあそこまで自分本位で欲どしくなってしまったのは、北齋が自分を通してお直しか見ていなくて、それがお金や贅沢に繋がってしまったからのような気がする。彼女のアイデンティティはなんだったんだろうかと考えると、実はちょっとかわいそうな女性なのかもしれない。

となると、北齋は本当にお直を愛していたのかという疑問が出てくる。愛というよりは執着の方がしっくりくるような気さえする。自分の思い通りにならず、手に入れられなかった女性という執着。もしかしたらカメラでいう被写体としてのそれもあったかもしれない。

腕のマッサージに関する一連のシーン、北齋はお直2の方に寄っていったから彼女に頼むのかと思ったが、お栄にアピールしていた。意外だな、とそのときは思ったけど、よくよく考えてみるとやきもちのようなものだったのかもしれない。あるいは、お直に結婚を要求してはいたけれど、甘える相手はお栄(と佐七)だけだったのだろう。ずっとお直お直言っていたのに、お栄がいなくなったらお栄を求めているあたり、絶対的なパートナーだったんだろうなと思う。最期のときにお栄は戻って来たけれど、北齋はきっと認識できていなくて、独りのまま亡くなったのかと思うとすごく切ない。

北齋は自分勝手に自由に生きていたけど、北齋が北齋で在れたのはお栄と佐七がいたからだなとつくづく思う。佐七は偽善だと卑下していたが、それだって相手のことを思っていなければできない行動だ。お栄も、お百が亡くなった時点で佐七にアプローチできたのにそうせず、ずっと北齋の傍にいた。もしお栄と佐七が恋人ひいては夫婦になっていたら、北齋は北齋になれなかっただろう。

それにしても佐七、最初の出資は終ぞ本人に伝えなかったのに、最後の口利きは自分で伝えたのはどういう心境の変化だったのだろうか。もう老い先短いから、だけじゃないような気がする。

ところで劇中で北齋が絵を描いている描写が少なかったのは、蛸と海女を描くシーンを際立たせるためだろうか。あのシーンどエロかったな…。佐藤さんの足めちゃくちゃきれいだし、障子の向こうで蛸と戯れている演出にすごくどきどきした。

30代から90歳、絵に対する情熱や破天荒さはそのままに、北齋の一生を演じ切る横山さんの表現力がすごい。もちろん、堺さんも木村さんも晩年の演技はすごかった。ややコミカルというか動作に誇張はあるけど、それが嘘くさくならないのは役者の技量だと思う。カテコの横山さん、ずっとおじいちゃんだったらどうしようって思っていたら、2回目で若返っててあまりのかっこよさにびっくりした。圧倒的な、美。オーラがすごい。

パンフレットも素晴らしかった。セットの作りこみがすごい。終わりのページになるにつれて部屋がきれいになっていて、研ぎ澄まされているように感じられる。「そうだ、こうして醒めた目でみりゃ、自然はちゃんと息づいている、光と影が寄り添ってる」の通りだなと思った。最後のページでついに北齋はいなくなるが、差し込む光の向こうに画家として目指すところがあって、それを見つめたまま亡くなった北齋の一生を表したようなパンフレットだった。

 

キャストさんのコメントや対談もどれもおもしろかったのだけど、渡辺いっけいさんのコメントが特にうれしかった。役者・横山裕の脱皮を後押ししてくれている感じがして、一ファンとしてたまらなくうれしい。

 

横山さんが予習予習言っているのでどきどきしたけど、wikiの知識で十分楽しめた。横山さん、キャストさん、スタッフさん、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。残りの公演も怪我などなく、笑って終えられますように!

山田さんちの隆平くんと章大くん

丸山隆平安田章大といえば、関ジャニ∞のハモリ職人である。上ハモ下ハモ自由自在。特に丸山さんは1曲の中で上いって下いって主メロも歌って大忙しなのに、歌声がブレない。

そんなふたりがボーカルを務めたセッション 『星になれたら』

楽しそうに歌うふたりが印象的だった。やわらかくて甘い歌声が溶け合ってあたたかい世界がそこにあった。ソロで歌っているときは確かに違う声なのに、ユニゾンで歌うとまるでひとつの声のように聴こえる。でも確かにふたり分の声がそこにはあって、ものすごく不思議な感覚になる。

しかしながらこのふたり、歌声がよく似ている。先に述べたこととやや矛盾するが、本当によく似ている。わたしの耳はぽんこつなのでうまく聴き分けられないのだが、ぽんこつなりに少し語ってみる。

 

■The Light

山田を語る上で外してはならない、ふたりのユニット曲である。この曲のなにがすごいって、歌声だけで世界の明るさが変わることである。

出だしの丸山さんも後に続く安田さんもやや低めのキーである。それがサビで一気に高くなるのでパッと視界が開ける感じがする。AメロBメロでは淡い光だったのが、輝きを増して明るくなるのだ。サビに向けて安田さんのキーがだんだん上がっていくので、いきなり電気を点けたような眩しさは感じない。というか丸山さん、ずっと低いところを歌っていて瞬時にサビの高音に跳べるのがすごい。

そしてこの曲、ハモリ職人のユニット曲でありながらほとんどハモっていないという、ある意味贅沢な曲である。3分半のうち、ハモっているのは「遥か遠く限りの無い未来へ」「あるがまま このすべてを燃やせ」「いくつもの時を越えめぐり逢う」「あるがまま このすべてを燃やせ」の4ヶ所だけである。それまではメインとコーラスに分かれているので、ハモったときの待ってました感が増しているように感じる。違う場所にいたふたりがついに出逢ったという感動。そして最後の「届くはずだから…」はユニゾンで歌っている。あのひとつの声に聞こえるユニゾンである。しかも静かに終わるので、星が燃え尽きる様子を連想させて少し切なくなる。表現力がすごい。

 

■愛のかたまり 

リサイタルで披露されたこの曲は、The Lightとは逆にハモリ職人の本領が存分に発揮されている。主メロ丸山さん・ハモリ安田さんと固定はされてしまっているが、本家に引けを取らない見事なハーモニーである。ふたりとも声色の幅が広いが、この曲は非常に甘い。とろっとろに甘い。甘さの中に切なさを滲ませた声で女性目線の歌詞を歌われるのだからたまったもんじゃない。いつかフルで歌ってほしいものである。十祭の硝子の少年といい、KinKi Kids楽曲との相性の良さたるや、さすがハモリ職人。 

 

■わたし鏡

安田さんのソロ曲であるが、十祭のユニットシャッフルで丸山さんも歌っている。その際に丸山さんは「俺が歌うと"俺鏡"になってしまう」と言っていて、なるほどと思った。ベースの歌声が似ているふたりだけど、唯一大きく異なるのはここなのかもしれない。もちろん歌い方にもよるが、歌声に性別があるとしたら安田さんの声は女性的なのだろう。どちらのわたし鏡も甘くかわいらしいのだが、そのかわいらしさの種類が違う気がする。

 

他にも推すべき山田はたくさんあるのだが、語彙力が足りないのでひとまずここまでとする。

総括:山田が奏でる世界は平和で幸せに満ちている。以上。

ガラス越しの景色はキラキラしているだろうか

関ジャニ∞さん、crystal発売おめでとうございます。そしてありがとうございます。台湾盤だけフラゲしたのでさっそくDVDを見たのだけど、特典というレベルをはるかに越えたボリュームとクオリティでもう感謝しかない。もっとお金出すよ?

パンフレットの撮影メイキングはわちゃわちゃしつつも、異国の地でのんびりしているようにも見えてなんだか心が温まる。おいしそうにもぐもぐしてるのとてもかわいい。あとGR8ESTのメイキングでも思ったけど、6月ごろに比べると安田さん痩せたなあ…。マニアックに全力投球だったからだろうな。今を全力で生きている感じがどうしようもなくかっこいいと同時に、身を削って挑むほどの何かがあることがうらやましいなとも思う。でも身体は壊さないように、おいしいごはんたくさん食べていっぱい寝てね。

リハーサルの様子などを見ると、ライブって生もので、その場その場で造り上げているんだなあと改めて感じる。よりいいものになるように、よりお客さんが喜んでくれるようにと試行錯誤してくれていることが本当にうれしい。2日目で演出を変えたズッコケ、文字通り会場のセンターで歌って煽る横山さんはかっこよかったし、その様子をにこにこしながら見守るメンバーはかわいかった。そして横山さんに応えるように間奏でアドリブを入れた大倉さん。錦戸さんが振り返ってたからアドリブであってると思うんだけど、この跳ねるようなリズム、個人的にめちゃくちゃ好き。というかそもそもバンドver.のズッコケの間奏がかっこよくて大好きなんだけども、このアドリブには痺れた。

 

そしてcrystal。トレースで初めて聴いたときからずっと、フルで聴ける日を楽しみにしていた。曲がかっこよかったからなのはもちろん、なぜ"crystal"なのかが気になっていたからだ。crystalが何を意味しているのか、それを早く知りたいと思った。

単純にcrystalという言葉を検索すると、石英だとか水晶だとか鉱物の情報が出てくる。歌詞で最初にcrystalが登場するフレーズは「震えないで crystal」だが、石英も水晶も自ら振動はしない。試しに"crystal 振動"で検索してみたら水晶振動子なんてものが出てきたけど、これは電圧を加えることによるもののようだしこの曲には確実に関係ない。つまり歌詞におけるcrystalは何かの例えなのだろう。震えるような、何かの。

2回目にcrystalが登場する次のフレーズに「乱反射」とある。乱反射とは光の現象のひとつで、なめらかでない面つまり凹凸面に光が反射した場合に起きる。そして続けて「ココロざらついたなら」と歌っていることから、乱反射はざらついたココロにより起きたと推測できる。crystalの部分に戻ると、crystalが震えた結果が乱反射とも考えることができる。つまり、crystal=ココロなのではないだろうか。

そしてcrystalにかかる歌詞だが、初めの2回は共通で「震えないで」と懇願する言葉であるのに対し、後の2回は「夢じゃないんだ」「進みたいんだ」と自らの意志を告げる言葉となっている。メンバーからのコメントで、前向きな曲であると言われていたのはこれか、と思った。夢を追うことは「幻だと諦めた 信じること簡単じゃない」と言って、夢を「忘れた もう思い出せない」と嘘をついていたのが「夢じゃないんだ crystal / 触れられる」に変わり、「隠した痕 痛みはない 眠れない夜に軋むだけ」と言い訳じみたことを言って「誰も泣いてなんていないのさ」とやっぱり嘘をついていたけど、「強がりでもいいんだ 信じ抜いて / 進みたいんだ crystal」と歌う。傷ついている弱い自分に気づいていながら見ないふりをしていたのが、強がりでもいいんだとそれすら受け入れて歩いていく。ただ綺麗なだけじゃない、人間臭さのある前向きさだと思った。

この後に「キミを抱いて行くよ」と続くが、突然二人称が出てきたのが引っ掛かる。"キミ"と呼ぶのなら、"キミ"がすでに登場していないと辻褄が合わない。それまでの歌詞で"キミ"になり得る単語を探してみると、crystalしか存在しないのだ。「なんてね ほら 全部嘘だろ」は誰かに語っているようにも思えるが、相手の存在ははっきりせず、言い聞かせているような印象も受ける。一方でcrystalは「震えないで」等の目的語になっており、crystalを対象として見ていると捉えて問題ないだろう。そうすると、crystal=キミ、すなわち、キミ=ココロということになる。

つまり「キミ(=ココロ)を抱いて行くよ」と歌っていることになるが、ではこのココロとは何か。歌詞の展開から想像するに、嘘で覆っていた本当の気持ちなのではないだろうか。「幻だと諦めた 信じること簡単じゃない / 忘れた もう思い出せない」も「隠した痕 痛みはない 眠れない夜に軋むだけ / 誰も泣いてなんていないのさ」も、全部強がっているだけの嘘なのだ。つまりその逆が本音である。その本音も嘘も、全部抱えて行くと歌っている。このあたりもとても人間臭い。

"行く"ということは、目的があるということだ。旅人=僕らは何を目指しているのか。これは「ひと筋の光求めて」「どうかいつか / 透明な光へと…」という歌詞から、"光"であることが明白である。そうすると光が何かという話になるが「いつか見た夢を探してるよ」というフレーズから、夢そのものを抽象的に表しているか、もしくは夢に至るまでの道筋だと思われる。

そしてこの光、最後の最後に存在が見えて「光リ 曲ガリ 強キ 輝キ 放チ 届キ 此処へ」と歌われる。なぜここだけ送り仮名が片仮名なのか。なお、「此処へ」がどちらかは歌詞カードからは判別できないけど、ここではわたしの都合により平仮名として話を進める。そうすると送り仮名が片仮名の言葉は6個となる。始めにcrystalは水晶であると書いたが、水晶の結晶系は六方晶系である。単純に言うと六角柱なのである。さて、新曲crystalにおいて6はもうひとつある。我らが関ジャニ∞さんである。

ここから深読みオタクが暴れ出すのだが、光は基本的に直進するものである。なので「曲ガリ」という単語が気になった。異なる媒質を通るときに屈折という現象が起きるが、プリズムを通すとさらに分散もしてスペクトルを得られる(プリズムは水晶でも作られる)。つまり虹色になるのだが、日本において虹色は一般的に7色である。送り仮名が片仮名の6個と平仮名の1個、合わせて7個。虹色がすべて合わさると透明な光(白色光)。村上さんも『俺らはずっと7人』って言っていたなあ。『すばるも旅をやめたわけじゃない』とも言っていたなあ。

なーんてね! 深読みというかこじつけだけど、思うだけならいいよね。

やや脱線したけども総括すると、crystalは強がりながら本音も嘘も抱えて光≒夢を目指す過程を旅になぞらえた楽曲であるとわたしは解釈した。「僕らは 旅人」というフレーズが2回登場するが、1回目も2回目もメロディは変わらないのに、旅人の表情は違う印象を受けるのがおもしろい。

 

と、ここまで楽曲に対して考察してきたけれど、単純にトレースの主題歌という視点から見るとcrystalは真野さんを歌った曲なのだろうなと思う。crystalという単語は真実のカケラとかけているのかな。

それにしても、帯に描かれている折り紙のあやめみたいなマークはなんだろうか。MVにもオブジェで登場しているけど、歌詞からはわからなかった。

ちなみに初回盤と通常盤は後から注文したため、まだお預け。MVを見たら追記するかもしれないし、しないかもしれない。

【感想】2/6 マニアック ※追記あり

昼公演を観劇した。2階席だったのだけどそんなに遠い感じはせず、ど真ん中だったおかげもありすごく見やすかった。

キャストさんの演技はもちろん、随所随所で披露される歌でもただただ圧倒された2時間半だった。声の圧力がすごい。それが生演奏に乗せて届けられるのだから最高の空間である。

安田さんの歌声もたくさんたくさん聴けて本当に幸せだった。声は安田さんでも歌い方はライブなどで見るものとは違っていて、犬塚アキラが歌ってる、と感じた。表現の幅がすごい。あとツアーのときよりも格段に動けるようになっていて、嬉しかったし安心した。衣装が終始萌え袖になっててかわいいの極み。ただでさえつなぎ服が大好きで性癖に刺さりまくっているのに、強烈な上乗せである。罵倒するシーンは尼感が増し増しで最高にガラが悪くてたまらない。

さて、記憶力がポンコツなのですでに朧げになりつつあるけれど、その中で精一杯の感想と考察を残そうと思う。ここから先は一切内容のネタバレに配慮していないので、観劇がこれからの方はご注意あれ。

 

 

劇中でもアキラが言っていたけれど、この作品は台無し感がすごい。音楽劇「マニアック」を一言で表すなら?と訊かれたら、わたしは「台無し」と答える。一幕で積み上げてきたキャラや関係性等々を二幕ですべてぶっ壊して、その破片を散らかしたまま終わった。そんな印象である。まさかアキラとメイ以外の全員が死ぬとは思わなかったし、結局メイから逃げるなんて思ってもみなかった。

メイはまともな人間かと思いきや、二幕でとんでもない奇病であることが発覚するわけだけど、そもそも「マニアック」の世界におけるまともな人間とはなんだろうか。人体実験に夢中な院長、そんな院長に心酔する甘木婦長、やたらセクシーな小神田看護師、パニック障害の花旗さんなど曲者揃いの面々の中、アキラだけは"普通の人"という設定である。だがこんな曲者まみれの世界にあっては、逆説的に"普通"であることも曲者であり得るのではないだろうか。WSで安田さんが「自分ではまともだと思っている」という旨の話をしていたが、まさにそれだ。無くて七癖、自分の普通が他人にとってのマニアックかもしれない。パンフレットでも「アキラだけはまとも」が散りばめられていて、それも狙いのうちだとしたら恐ろしい。

キービジュアルにおいても、アキラだけが違う服装をしている。主役だからと言ってしまえばそれまでだけど、ヒロインであるメイと、病院における支配者である院長も拘束服なのが気になった。メイは院長の庇護下にあると考えれば拘束服でもいいかもしれないけど、院長も拘束されているということは他に黒幕がいるのかなあなんて、キービジュアルが公表された当時は考えていた。

ここでマニアックという言葉について考えてみる。ネットで検索すると、"あることに異常に熱中し精通しているさま"とあるが、英語のmaniacには"狂人"という意味もあるようだ。人物によって前者と後者のどちらが近いかは様々だが、今作におけるマニアックの定義も上記で問題ないだろう。そしてフライヤーに書かれている「これってものを見つけたら 気が狂うほど 愛し抜け」は劇中歌でも登場するフレーズだが、これを「マニアック」のキャッチコピーと捉えるなら、愛し抜いた結果狂ってしまった人たちがマニアックであり、その執着の比喩が"拘束"なのかもしれない。自らの意思で逃れられないと考えれば、拘束と例えるのも極端に的を外してはいないと思う。

アキラ以外のキャスト陣を拘束しているのはベルトであるが、よくよく見るとアキラもベルトをしている。シャツの上からなので本来の用途からは外れているこれが、拘束されている面々のベルトと同じであるなら、アキラもやはりマニアックということになる。しかしその大半はベストで隠されており、即ち潜在的なマニアックあるいは誰でもマニアックになり得ることを示しているのではないだろうか。つまり、やはり「マニアック」にはマニアックしかいないのだ。

ただマニアックたる所以があまり見えてこなかった人物もいるため、以上の考察が成り立たない部分もある。ユタカの奇病はメイにうつされた後天的なものであるし、花旗妻や名もなき看護師さんたちは一人を除いていまいちキャラがわからない。ユタカの場合は奇病というよりも、欲情したときにあそこまで大きくなることの方かもしれないが。メイも奇病に気を取られそうになるが、大量虐殺の起きた後すぐにアキラに「一緒に暮らしましょう」と言ってしまえるあたり、彼女自身も相当やばい。アキラに執着するような印象も受けた。 

ところでメイの病気、インターン先でいろんな人にうつしてきたってことは、すでに世に蔓延しているのでは…。驚異の感染力と数時間の潜伏期間じゃ、未来の話じゃなくてすでに蔓延っていそう。話の本筋とは関係ないけどふと思った。

 

二幕以降の展開とオチが強烈過ぎて忘れそうになるが、ただの変人ドタバタ劇でなく、ただのヒロイン救出系勧善懲悪ストーリーでもないところが「マニアック」の深みを増していると感じた。院長の所業は"常識"で考えるととんでもない犯罪行為だが、彼の主張にあるように、どうにもならないやつを野放しにしないことで救われた命があるかもしれないことも事実だ。そうすると院長の主張も単純に悪とは言い切れなくなってくる。彼なりの信念に基づいて人のために始めたことを、"常識"から外れているからという理由で否定するのは"善"と言えるのだろうか。アキラの言い分にも院長の言い分にも一理あるのだ。自分の価値観だけでは物事や善悪ははかれない。

現代社会においても、凶悪な犯罪者に対して極論を投げつける人はいる。良くも悪くも匿名性の高いネット社会において特に顕著だ。最終的に自死した看護師さんは、「影が薄いから一発かました(意訳)」といった理由で人を殺めたが、同様に「むしゃくしゃしたからやった」「話題になりたくてやった」という傍から見ると理不尽な理由で事件を起こす犯罪者もいる。「マニアック」の世界は見た目は違えど、中身は現実に起きていることと大差ないのだ。

パンフレットに「不道徳」を振りかざしたとあるが、道徳を知らなければ「不道徳」は語れない。命や犯罪という、万人が共通認識を持ちやすい題材を用いたからこそできたことだと思う。道徳をしっかりと踏まえた上で振り切れているから、「マニアック」の「不道徳」はおもしろいのだ。

 

 あと印象に残ったのが甘木婦長。ぶりっ子を飛び越えて小さな子供のようなキャラはセクシーな小神田看護師との対比なのだろうが、普通に話しているシーンもあることから明らかに自ら作っているキャラ設定だろう。実際、小神田看護師に負けじとセクシーなポーズをとる場面もあった。「(院長への忠誠心が)ブレねえ!」と言われた甘木婦長が自らのキャラはブレブレだったのがおもしろい。

 

 

…とまあいろいろ考えながら観ていたのだけど、最後の最後にすべて台無しにされて「やられた!」という気持ちである。ちくしょう、やりやがったな!

 

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【追記】

ご縁がありもう1回観劇することができたので、今更ながらそこでの気づきと修正を少し。

 

・メイは初めは「大量出血で意識を失う」と言っていたけれど、おそらく奇病による欲情は出血量に関係なく起きていると思われる。アキラの傷の手当てをするときの妙な間が物語っている。

・その手当てのシーンでもうひとつ、"点々舐めで傷口を見れば大丈夫"となったけど、傷口は刃物によるものなのでおそらく直線。それを点々舐めで見た場合、もしかしたらアレのように見えるのでは。そのおかげでメイの興奮も少し緩和されたのではないかと邪推。ただ、点々は十字型なのでこれは邪推すぎるかも。

・小神田看護師のマニアックは院長かと思っていたけど、給料が上がって人が変わったようなことを姉が言っていたから、もしかしたらお金かもしれない。

・花旗妻のマニアックは体型。寿くんが思いっきり言ってた。

・"性犯罪者は治らない"は寿一派を指してるものだけど、メイも含まれてしまうのかもしれない。"きれいな顔"だからある意味許されただけで、不特定多数と行為をして自分の奇病をうつしてきたって立派な逆レ◯プなのでは。"マニアックは治らない"とも歌ってるけど、そりゃ狂ってしまってるんだから治るわけない。当人たちに治す気がないんだから。

・花旗さん生き残ってた。勝手に殺してごめん。

 

安田さんに関しては、歌声がパワーアップしていて驚いた。全く違うと言っても過言ではないくらいに進化していた。声の圧がすごい。素人の感想だが、喉が全開で腹の底の底から声が出ているようだった。まるで衝撃波のような、ぶっとい声。驚きすぎてぽかんと口が開いた。そして震えた。この短い期間でこんなにも変わるなんて、本当にとんでもない人だ。とんでもない人を好きになってしまった。

 

音楽劇「マニアック」は素晴らしい舞台だった。最高と最低が次々と押し寄せて、相反するものなのに奇妙に混ざり合った舞台だった。いろいろなものが濃縮された2時間半、とても楽しかった!

皆様怪我なく終えられて何よりです。全40公演お疲れ様でした!最低で最高の「マニアック」をありがとうございました!!

夢を夢で終わらせたくはない

 

2018年12月31日

 

この日はきっと、ずっと忘れられない日になる。

平成最後の大晦日をもって、渋谷すばるジャニーズ事務所を退所した。タッキーのことも含め、なんだかできすぎた話だ。2018年の終わりをカウントする声は、同時に渋谷さんのジャニーズ人生の終わりまでのカウントダウンでもある。カウントダウンコンサートはeighterになる前からほぼ毎年見ていたけど、こんなに複雑な気持ちで見たのは初めてだった。それでもみんなかっこよくて、ときにお茶目で、ずっときらきらしていて、純粋にエンターテイメントとして楽しめたのはよかったなと今になって思う。

2018年は激変の一年だった。仕事でもいろいろあったのだけど、一番の変化はやっぱりeighterになったことだ。中学高校でも通ってこなかったのに、まさか今になってジャニーズに落ちるなんて。しかもそのきっかけがメンバーの脱退だなんて、一年前のわたしに言っても絶対信じない。むしろ今でも信じられない。それでもひとつ確実に言えることがある。

関ジャニ∞を好きになってよかった。

これだけは声を大にして言える。もちろん、渋谷さんの脱退に関連して苦しくなることもあった。悲しくなることも、切なくなることもあった。雑誌を読んで泣くことだってあった。今だって寂しい。きっとずっと寂しい。関ジャニ∞にハマらなければ、彼らのことを知らなければ、こんな気持ちにならなくてすんだんだろうなとも思った。

でもそれ以上に、毎日楽しかった。丸の大切な日にほっこりして、レンジャーを心待ちにして、クロニクルで爆笑して、関ジャムが前よりずっと楽しみになった。テレビのゲスト出演や特番をチェックして、雑誌の写真のイケ散らかし具合に慄いて、ジャニショで写真も買った。ライブDVDもいろいろ買って、仕事から帰ったらほぼ毎日流すようになって、電気代が倍になった。今まで置物と化していたブルーレイレコーダーがフル稼働で、彼も驚いていると思う。ツイッターでeighterさんと興奮を分かち合ったりもした。毎日本当に楽しくて、これは関ジャニ∞を好きになったから得られた感情だ。

アイドルコンテンツにハマるのは初めてだったから、自分がいくらつぎ込むのかが純粋に気になって、家計簿アプリに新しくeightというカテゴリを作った。関ジャニ∞に関わる出費はすべてこのカテゴリで記録した。その結果、チケット代や交通費宿泊費を含めて20万以上使っていた。7月からの6ヶ月間でである。やべえ。貯金からも少し使ったけど、これだけのお金どこから出てきた? というか、今まで何にお金を使っていたんだろうというレベルのつぎ込みようである。やべえ。しかし出費に比例してQOLが格段に向上しているのは紛れもない事実だ。

だからこれからも、関ジャニ∞のみなさんには心身ともに健やかであってほしい。もちろん渋谷さんもだ。おいしいものをたくさん食べて、たくさん寝て、くだらないことでゲラゲラ笑っていてほしい。その二歩くらい後ろから、わたしも笑いながらついていくから。ときどき泣いてるかもしれないけど、それもまた一興。きっとこの先も感情ぐっちゃぐちゃになることがあるだろうけど、ずっと応援していきたいと思う。

関ジャニ∞を好きになって、本当によかった!!

2019年もこれからも、関ジャニ∞渋谷すばるの活躍が楽しみだ!!

 

【感想】11/18 GR8EST

記念すべき、初めて参戦した関ジャニ∞のライブである。ちなみにジャニーズのライブ自体は初めてではない。10年くらい前にKAT-TUNのライブに行ったことがある。あの頃は6人だったな…。

話を戻して。

初参戦だしレポがんばろうと思ったけれど、わたしの脳は記憶力がポンコツすぎるため早々に断念。他の方のレポを参考にしつつ、感想という形でまとめたいと思う。つまり完全にわたし用の備忘録である。この日このときに思ったこと、感じたことを残すわけだが、ややネガティブな感情もある。正直、こんな気持ちになるとは思ってなかったのでわたし自身驚いている。けれど、正真正銘今のわたしの気持ちで、関ジャニ∞に会ったことで気付いたものだから、つらいけど忘れたくないから、書き残すことにする。

 

 

まず思ったのは、目が足りない。

スタンド席下段ではあったけども、その中でも割と上の方の席だったため必然的にほぼスクリーンのお世話になる。しかし照明などの演出を含めた全体も見たいし、カメラに抜かれていないメンバーの一挙手一投足も見たい。圧倒的に目が足りない。今回ほど多重影分身(©️NARUTO)を習得したいと思ったことはない。

 

冗談はさておき本編。

オープニング映像ですでにぐさりときた。渋谷さんが抜けて6人体制になった関ジャニ∞、リスタートという言葉は要所要所で使われてきた。それが映像では“reborn”になっていた。

生まれ“変わって”しまうのか。

呆然とした。映像が流れ始めたときのわくわくした気持ちから一転、冷水を浴びたような気がした。生まれ変わるという言葉は、再出発よりもリセットが強いように感じた。確かに渋谷さんの脱退によって、関ジャニ∞は新しい姿になるのだけど、でもリセットはしなくていいでしょう? 今までリスタートだったのに、どうして急にrebornって言うの? 単にわたしが気にしすぎなのは百も承知なのだが、一度気になってしまったらそれはしこりとなる。

どうしよう、楽しめるだろうか。しかしそんな不安はすぐに吹き飛んだ。茶髪になった大倉さんの登場である。かっこよすぎて奇声をあげた。涙も出た。茶色の下に黒が混じっているのがまたたまらない。性癖にクリティカルヒットである。ありがとうございます大倉さん。

そして、象。以前の記事にも書いたが、わたしにとって非常に思い入れの強い曲のため、生で聴けると知ったときは(ツイッターで知った)うれしさのあまりスマホに向かって拝んでしまった。イントロのギターでテンションぶち上がり、出だしの安田さんの吐息からの歌い出し、巻き舌で雄がガンガンに効いてて震えた。思わずヒイィ!って言った。キャー!ではない。ヒイィ!である。象に限らず、この日の安田さんは大人の男の色気を惜しげもなく溢れさせてて、雄のオーラが半端なくて、ご本人の言葉を借りるならeighterを狩りにきていた。事あるごとにカメラ目線を決めて乱獲していた。カメラの有効活用である。

ズッコケ男道では横山さんの美しさに惚れ惚れし、無責任ヒーローでは声を張り上げてコールした。彼らがガンガン煽ってくるので負けず嫌いを存分に発揮してしまったが、あの一体感は何にも代えがたい経験である。

こんな感じで基本的には彼らが魅せてくれるエイターテインメントに夢中になって楽しんでいたのだが、やはり新しい歌割りに少しそわそわしてしまった。eighter歴の短いわたしでさえこうなのだから、長年関ジャニ∞を応援してきた方の喪失感は凄まじいものがあるんだろうなと改めて思った。

その喪失感をわたしが実感したのはLIFEだった。わたしにとってLIFEは、関ジャムの印象が強い。わたしが関ジャニ∞のことが好きだと気付いた、渋谷さんの最後の出演となった関ジャム。錦戸さんが涙を零して、横山さんが何かを堪える顔で、大倉さんが笑顔で手を伸ばして、渋谷さんが最後にeighterと叫んだLIFE。そのLIFEを、6人で楽しそうに演奏していた。急に取り残されたような、心にぽっかりと穴が開いたような気になって涙が出た。わたしが見たLIFEと違う。そう思ってしまった。それでもやっぱり演奏して歌う関ジャニ∞はかっこよくて、大倉さんのソロパートの後、ドラムの一打に合わせてパッと会場が明るくなってスクリーンが6面マルチになった演出にはめちゃめちゃ興奮した。

気分が上向いたのも束の間、続くオモイダマでまた喪失感を味わうこととなった。WSで見た札幌公演のオモイダマと、安田さんの歌い方があまりにも違いすぎたからだ。渋谷さんの絶唱パートを引き継いだのは安田さんであると紹介されていたそれは、『渋谷すばるのパートを歌う安田章大』だった。関ジャニ∞にハマりたてのわたしでもわかった、その歌い方は渋谷すばるだった。それがどうだ、追加公演では安田章大の歌い方になっていた。4ヶ月で人はここまで変わるのかと思った。長いとも短いともいえない4ヶ月、けれど時は確実に流れていると実感せざるを得なかった。寂しかった。6人が前を向いて歩き続けていてくれることは確かにうれしいのに、関ジャニ∞の形が変わっていってしまうことが無性に寂しく、悲しかった。オタクとは勝手な生き物である。

しかしそんな感傷も長くは続かない。そう、MCである。今度は笑いすぎて涙が出た。有馬記念に一途な安田さん、馬の顔と体つきを見て賭けるのだと動物好きらしいトークをしたその口で、馬肉をよく食べると言ってしまうところがわたしは大好きである。わたしだけではない、この日は横山さんも安田さんへの愛情を溢れさせていたように感じた。なんといっても無茶ぶりがひどい。「メンバーの中で一番速く走りそうなのは?」「語尾にヒヒーンってつけてみて」など幅広い無茶ぶりである。そして「本気で言うてんの?」と言いつつも応える安田さん、語尾がうまくいかなくて悔しそうな安田さん、そんな何事にも全力で一生懸命な彼のことがわたしは本当に大好きだし尊敬している。丸山さんのギャグも笑った。個人的ヒットはナナフシからの室伏である。丸山さんがギャグをやっているとき、メンバーが一番楽しそうなのがいい。横山さんか誰かが「自由時間か!」って突っ込んでいたけれど、そうさせているのは間違いなく関ジャニ∞自身である。そういうところが好きだ。

レポでみた振替公演と同様、追加公演でもなにわ男子が登場した。笑顔も衣装もきらきらしていて、おおっジャニーズだと思ったけど、それ以上に思ったのが、声が若い。10代後半~20代前半ってこんな声なのか、30代のおっちゃんたちにもこんな時期があったんだよなあとしみじみしてしまった。貴重な時間をありがとうございましたとお礼を言ってくれていて、謙虚な姿勢にすごく好感が持てた。わたしの時間でよかったらいくらでも使ってくれ。あんなに一生懸命な後輩がいる関ジャニ∞も、ステージからの景色を見せてくれる先輩がいるなにわ男子や関西Jr.もうらやましい。

続くわたし鏡、女性目線のかわいらしい歌だが、歌い手は絶賛チンピラスタイル中である。どうするのかと思ったら、サイドにも少し髪を下ろしていて少し前のモヒカンくらいになっていた。意外と変幻自在なモヒカンのようだ。ここでもやはり安田さんの溢れ出る色気にヒィヒィしていた。次のtornもダンスがセクシーすぎてヒィヒィして、パンぱんだのキュートさにほっこりして(ただしここでも横山さんは色気を捻じ込んできた)基本的に感情が忙しい。そしてKINGの登場である。LOVE&KINGめちゃくちゃ楽しかった。村上さんの声はすごく元気をくれる声だなあと改めて思った。Dye D?の歌割りの話で安田さんも言っていたが、勢いがある声だ。背中を押してくれる。

安田さんの体調のこともあり、バリバリのダンス曲はなかったが、キング オブ 男!や罪と夏では結構動けている安田さんを見れて安心した。ただ、バンド曲でもそうだったけれど、たーっとステージの端まで走っていくのは心臓に悪いのでご遠慮願いたい。ものすごい端っこまで行くし、そもそもステージ動いてるから揺れてるだろうし本当にどきっとした。でもそれ以上に楽しそうでうれしかった。

振替公演からセトリ変更により本編のラストになった、ここに。音源でもテレビでも何回も見て聴いたけれど、歌い始めのブレスがくっきりと聴こえたのは初めてで、ぞくっとした。7人体制最後のシングルで始まり6人体制最初のシングルで終わるセトリ、始めるんだと歌って終わるセトリは関ジャニ∞の決意だろうか、宣言だろうか。

ああ、やっぱりかっこいい。渋谷さんの脱退や安田さんの体調や、その他のあれこれで誰よりも辛く苦しく大変な思いをしているのはきっと彼らなのに、こんなにも力強く歌ってきらきらしたものを魅せてくれて。ただただ尊敬と感謝しかない。本当に楽しかった。

 

楽しかった気持ちに嘘はないのだが、始めに感じたしこりなのか、もやもやしたものは残ってしまった。その正体は、すぐにわかった。

帰ってから、JAMコンを見た。なんとなく感じている喪失感を埋めたいのと、楽しかったライブの余韻に浸りたいのと両方の気持ちがあったと思う。最近は日課のようにJAMコンを見ていたから、その日も自然と手が伸びた。

開始ほんの数分、勝手に仕上がれを歌う渋谷さんを見て涙が出た。あの生放送の関ジャムのときのように、声をあげて泣いた。そして、もやもやの正体に気付いた。

わたしは悔しいのだ。

7人の関ジャニ∞に会えなかったことが。

7人の関ジャニ∞を円盤でしか見れないことが。

7人の関ジャニ∞を直接応援できなかったことが、どうしようもなく悔しいのだ。気付いてしまって、余計に悔しく苦しくなった。

それ以来、どの円盤も見れていない。最近仕事が立て込んでいたのは確かにあるけれど、休みはちゃんとあるし時間がないわけではない。それでもなんだか見る気になれないでいる。でも音源は聴けるから不思議なものだ。

 

まさか自分がこんな気持ちになるなんて思いもしなかった。きっとこの気持ちはずっと抱えていくことになるのだろう。この先、関ジャニ∞渋谷すばるがどうなるのかはわからないけれど、たとえどんな形になっても過去は変えられないから、わたしは悔しさを抱えたまま彼らを応援するのだ。正直めちゃめちゃ苦しいししんどいけど、テレビや雑誌の情報がでるとわくわくするし離れるという選択肢は存在していない。やっぱりわたしは彼らが大好きだ。

関ジャニ∞を好きになってよかった。

何色の青が好き?

非常に今更であるが、ここで自担について触れておく。正直、自担とか担当という言葉はわたしにはなんだか強すぎてあまり好きではないのだけど、わかりやすい言葉ではあるので便宜上使わせていただく。

 

わたしの担当は、安田章大である。

もちろん関ジャニ∞そのものが好きなのは大前提である。ファンクラブに入るときに選ぶ好きなタレントの欄、どうして 全員 がないんだろうと頭を抱えたくらいにはみんな好きである。ここ最近で一番の難問だった。関ジャニ∞が好きなのにひとりを選べだなんて、酷なこと言うなぁ…(村上信五@英会話伝言ゲーム)

閑話休題

以前の記事にも書いたが、安田さんは最後まで名前と顔が一致しなかったうちのひとりである。そんなわたしがなぜが安田さんを担当とするに至ったのか、それはずばり関ジャニ∞クロニクルのいきなりドッジである。甲高い声と珍プレイ、そして催眠術。まさしく目が離せない存在だった。さらにイケメンカメラ目線スポーツでの強烈なイケメンもといイケモンの数々。たくさん笑顔にさせていただいた。お腹取れるかと思った。

そんなわけで、まずはその天然で自然体すぎるキャラクターに惹かれたのである。この時点では、安田さんに限ったことではないが、ジャニーズのアイドルであるという認識は薄かった。顔がよくてバンドができる芸人なのではないかとさえ思っていた。

次いでの印象は、なにこの人かわいい、である。関ジャニズムBDに収録されている三十路少年、公園でブランコみつけてもうたら立ち漕ぎしてまう30代の笑顔の破壊力たるや。しかもピース付きである。落ちないわけがなかった。ギャグソロも非常にかわいかった。あまり年上の男性に使う褒め言葉ではないが、それ以外に形容しようがないのだから仕方ない。この かわいい という印象は、それまでに把握していたキャラクターとさほど乖離はなく、グループの中ではゆるキャラというか癒し系のポジションなのだろうと結論づけた。

そこへ待ったをかけたのが、同じく関ジャニズム収録の象である。巻き舌で目をぎらぎらさせて歌い上げる姿に度肝を抜かれた。えっ、同じ人? あっ、同じ人だ。頭の中は大混乱である。ふわふわにこにこしているだけじゃない、漢を通り越して雄な一面に完全にしてやられた。そう、わたしはギャップに弱い。

このように、安田さんは非常に多様な面を持っている方である。人間誰しもいろいろな面を持ってはいるが、彼は特に顕著である。正直、振り幅すごくてしんどいと思うときもある。だがそのしんどささえも魅力なのだから、安田章大はとんでもない男だ。

その多様性は彼が手がける曲においても同様である。かわいい曲、かっこいい曲はもちろんだが、よく事務所が許したなと思うくらいのスタイリッシュ下ネタソングまで実に様々である。ちなみにわたしが安田楽曲の中で一番好きなのはKicyuである。ああでもBlack of nightも捨てがたい。

様々といえば髪型のことも忘れてはならない。ふわふわパーマからさらさらストレート、果てにはチンピラを彷彿とさせるモヒカンまで多岐にわたっている。形だけでも多くのバリエーションがあるのに、そこに髪色の変化まで加わるため乗算、すなわち可能性は無限大である。ちなみにわたしが一番好きなのは銀髪スタイルである。銀髪ストレートで雄を出されるとぐっとくる。そう、わたしは非常にギャップに弱い。余談だが、わたしは焼きそばヘアも結構好きである。ふわふわでかわいいと思う。ああいう毛の犬いるよね。

このように、安田章大の魅力を挙げだしたら枚挙に暇がない。恐ろしい男である。そんな彼のことを、わたし以上に好きな人たちがいる。

関ジャニ∞のみなさんである。

彼らは安田さんの言動やリアクションを誰よりも楽しんでいる節がある。やっば!と言いながらもその眼差しがやさしくて愛おしさに溢れていて、それを見ているわたしもにこにこである。手錠ドミノにおいてヤスダーが登場した際の盛り上がりっぷりにわたしも拍手をした。彼らは番組の共演者等にも、安田さんへの愛を隠さない。うちの安田すごいやろ!うちの安田かわいいやろ!と顔に書いてある。USJのイベントにおける村上さんの発言が記憶に新しい。いいぞもっとやれ。そう、わたしは推しが愛されているのがたまらなく好きなオタクである。

 

以上、わたしが考える安田章大の魅力について述べてきたが、最終的に関ジャニ∞に着地することとなった。やはりわたしは関ジャニ∞が好きだ。泥臭くてがむしゃらでいつも笑顔で元気をくれるおっちゃんたちが大好きだ。

そんな彼らに、明日わたしは会いに行く。